ヒアカムズザサンの現役時代

ヒアカムズザサンの現役時代

 ヒアカムズザサンは、ユニオンオーナーズクラブという共同で馬を所有する一口馬主のクラブで募集をされた馬だ。募集されたのは2012年。父親は当時三冠馬オルフェ—ヴル、皐月賞馬ゴールドシップを輩出し、飛ぶ鳥を落とす勢いであったステイゴールド、母親は3冠牝馬スティルインラブの近親で名門下河辺牧場の生産馬。栗毛のダイナミックな馬体に加え、預託厩舎は同じステイゴールド産駒で 凱旋門賞2着馬ナカヤマフェスタを輩出した二ノ宮厩舎であり、当時オルフェ—ヴルも凱旋門賞挑戦を表明ており、本馬も当然期待され募集後すぐに満口になった馬であった。
 その期待を背にトレーニングに励み翌年8月デビューし4着、その次のレースで2着と勝利は目前、誰もがそう思った。しかし、そこから父親ステイゴールドの愛くるしい?部分を皮肉にも受け継いでしまっていたのである。
 ステイゴールドは3冠馬オルフェーヴルを筆頭に幾多のG1馬をだした名種牡馬であったが、 現役時代は勝ちきれない善戦マン。現役時代50回走って優勝7回に対し、2着3着は実に20回……あともう少しで勝てるレースが続き、 引退レースの海外香港で初めてG1レースを制した愛されキャラであったのだ。
 ヒアカムズザサンはこの善戦マンの血を受け継いでしまったようで、 ここから6回連続2着、その後も3着4着3着と勝ちきれないまま未勝利戦が終了。一部競馬ファンには最強の未勝利馬と言われていた。 その後1勝馬が集うレースに参加するも結果は7着、このまま中央競馬にいても未勝利馬なのでレースに出る確率が低くなるため一度地方競馬に移籍し、勝利実績を積み、もう一度中央競馬で走る道を選ぶことにしたのだ。そしてここから、新たな才能をヒアカムが見せる事になるのであった。
 地方の移籍先は園田競馬。地方でのデビュー戦はスタート直後、中団に位置したが、コーナーの手前で一気にまくって先頭に立ち、その後も気持ちよく逃げて、残り3ハロンになっても持ったままで後続とも差を広げ、最後まで追わずに初勝利をあげた。続く2戦目もスタートはいまいちであったがすぐに先団にとりつき最終コーナーではもう先頭に立ち、そのままの勢いで2連勝!!見事中央競馬への再転入を決めたのと同時にダート競馬への適性も示し、今後の競走馬人生が楽しみになったのであった。 

 園田競馬のダートで2連勝し、新たな一面を魅せたヒアカムズザサンは、
再び中央競馬に挑むため、調整を進めることとなった。

しかしこの頃になると脚下に気になる所がでてきて、様々な箇所に硬さなどが表れ出した。
それでもケアしつつ調整を重ね、2016年3月、栗東今野厩舎に戻ってきた。フォームの崩れが見受けられ、じっくりそこを調整し、翌月京都のダート競馬で中央復帰戦を迎えた。
 鞍上は今野厩舎に移籍してから調教にも乗っており、本馬の癖を熟知している和田騎手だ。
スタートで4番手をとりそのまま先頭を射程圏内でレースを進め直線へ。
直線では1頭分空いた内のスペースに進路をとりラストスパート!!
先頭の馬と激しいたたき合いを演じたがスペースが狭くなり、うまくさばけず、手綱を緩めるシーンもあり結果は7着。
「スムーズだったら突き抜けていた。」と和田騎手もレース後コメントしており、7着と言えど1着との差は0.2秒差。
次のレースでは勝ちを意識できる内容であった。
そして自信をもって送り出した次のレースでは1番人気。中央競馬初勝利を目指したレースは
前走と同じくそつなく4番手あたりを追走。直線を向くと前に馬がいない進路が!
ここがヴィクトリーロードといわんばかりにラストスパート!先頭の馬を射程圏内にとらえる。
勝ったか!と思わせたが、後ろから1頭追い込んでくる馬もいる…激しい直線の攻防。
先頭に一度はたったが後ろからの追い込みをしのぎ切れず
クビ差の2着…ステイゴールドの現役時代と同じく、あと一歩のところで勝ち切れなった。
その後、リフレッシュの意味も込めて放牧に出る。放牧先で脚下の入念なケアを受け、
3か月後トレセンに戻る。翌月阪神のダート競馬で復帰を果たし、7着。
ひとたたきした後、臨んだ次のレースでは3番人気。先団やや後ろの6番手から進め、
最終コーナー手前、5番手直線ではじわじわ前との差をつめていくが、
後ろから来た馬の勢いが勝り交わされてしまう…
それでも最後の最後で1番人気の馬を交わして2着!!でレースを終えた。
次走も同じ舞台で1番人気。今度こそ勝利を!とレースに挑み、
最終コーナーで最内に陣取りラストスパートで2番手まで躍り出る!
後は先頭の馬を交わすだけであったが、差は開きもせず詰まりもせず…
結局交わせぬまま最後追い込んだ馬にもゴール直前に交わされ5着。
常に上位争いをするも、勝ちきれないレースが続いてしまった…
その後年明けの京都開催を目指すも動きの硬さも目立ち、
一度放牧して立て直すことに。放牧先ではネックストレッチを着用し、歩様の改善も図った。
そしてトレセンに帰ってきて福島のレースに矛先を向けた矢先、屈腱炎を発症してしまう…
屈腱炎は、昔は不治の病とされた難病で引退か現役かを迫られたが
関係者は現役を選択。リハビリをすることになった。

 次のレース直前に屈腱炎を発症したヒアカムズザサンは、
治療のため競走馬リハビリテーションセンター(旧名、競走馬総合研究所常磐支所)へ移動した。
症状は思ったよりも重かったが、徐々に運動を再開、半年後にはトレッドミルなどの運動もできるようになった。
年明けからはゆっくりではあるが時計をだすまでに回復し、関西の外厩へ移動。
そこで本格的に競走馬に戻るためのトレーニングを受け2018年5月、約1年ぶりにトレセンに入厩をした。
苦節1年半、調整を経たヒアカムズザサンはついに!レースに戻ってきた!!
復帰初戦から全開!と行きたかったが得意のダート1800m戦ではなく1400m戦。
まずは次走につながるレースを、という復帰戦はスタートは5分も先手を奪えず、後方から。
残念ながら追い上げならず、結果は11着。レース後も故障はなく、まずは一安心。
次のレースは中2週空けての豊中特別。
ただレース当日は雨の不良馬場。屈腱炎になる前のレースも不良馬場だった。
レースは後方から進め、徐々に進出を開始したが、先頭集団には届かず。
しかし全盛期のようにしぶとく粘り、入着である7着入りを果たし、復活は印象付けた。
ただ、レース終わりから歩様が気になり始め、痛みがでてしまう…
検査の結果ナビキュラー骨の骨折で競走能力喪失の診断となってしまった…
馬運車に乗ることができないほどの痛みが走り、薬などで懸命の治療。
そしてなんとか馬運車に乗れるまでには回復し、競走馬を引退。
このサンクスホースプロジェクトに参加することになる。
今現在は現役時代の脚下の状態が完治されず、人を乗せずに軽い運動をこなしている。
他の馬よりはうるさいところもあるそうだが、ステイゴールド産駒にしては気性も穏やか。
カメラ目線もうまく、スタッフが手入れをしていると、遊んでほしそうにちょっかいをだす一面も。
壮絶な現役ラストを迎えた本馬。一時は命も危ない状況でした。
それでも、サンクスホースプロジェクトでの穏やかな日々の中で傷を癒し、リハビリに励み、今では祭馬として活躍するようになりました。

また取材をして履歴書を作成したいと思っております。

 現状リトレーニング費用や餌代は寄附金に頼っているのが
現状です。以前書いたtポイントやふるさと納税の記事をご覧いただき、
ほんの少しでも寄附を頂けたら幸いです。

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